ぶろぐ 印鑑の件

ブログなにを伝えたいか

・日常的にみんな印鑑を押しているけれど、それってなんでなのか。

 

誰に伝えたいのか

・印鑑を押す意味を分かっていない人たち。

・何も考えていない人たち。そういうことって結構あるよね。

・言われるがままのやつ。

 

ベネフィット

・印鑑が何かがわかる。

・一般常識とされている印鑑について理解できる

セグメンテーション

・印鑑についてわかっていないすべての人たちへ

・新社会人の私

差別化

・どこにもまとめられていない印鑑の最上級に詳しい情報の提供

4P

・これは自分の売り込みであり、自分の知識の整理である。 

 

2段の推定について

 

民事訴訟法228条(文書の成立)

4項 私文書は、本人またはその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。

 

署名はオッケー

押印、本人またはその代理人の押印があるときは・・であるから、本人または代理人が印を押していなければ、上記の条文は使えない。

 

では、本人が押したことを証明しなければいけないかというと、

 

以下の判例がある。(最判昭39.5.12)

結論から言うと、本人が押したかどうかの証明は不要とされている。

 

判例を簡単に要約すると、

「私文書中の印影が本人の判子によるのであれば、本人が自分の意思で判子をついたと推定する」・・・これを一段目の推定という。

 

実印とか、認印とか書いていない。本人の判子によるのであれば、本人の意思に基づいて押印されたと推定する。

 

だから、本人の判子がついてあれば、本人の意思に基づいて押印されたことが推定され、本人の押印があるので文書が真正に成立したものと推定されてる。

 

①文書に押印された印影が、文書の名義人の印章によって顕出されたものではないとして、一段目の推定の前提事実自体を争う。

②文書の名義人の印章が第三者に盗用された、あるいは、文書の名義人が第三者に印章を預けていたところ、無断で冒用されたなどと、一段目の推定が覆る事情を立証する。

③押印した後に、本文が挿入・削除(文書の変造)されたとして、二段目の推定が覆る立証をする。

 

文章の真正が成立すれば、形式的証拠力がそなわる。内容については実質的証拠力の問題となる。

 

書証の証拠力は高い。

民事訴訟法(文書の成立)

228

  1. 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。

 

 

文書の成立の真正とは、文書の作成者の意思に基づいて作成されたことを意味する。

 

書証を証拠とするためには、立証するひとが、相手方の意思に基づく書類だということの立証がいる。

 

相手方が成立を認めるといえば、書類は、偽物ではないということになる。

これは、補助事実の自白であるため。裁判所はこの自白に拘束されない。

 

弁論主義の第3テーゼ

裁判所は、当事者の争いのある事実を認定するには、当事者の申し出た証拠に寄らなければならない。(職権証拠調べの禁止)

 

形式的証拠力がなければ、証拠にすらならない。書証にならない。

 

文書は、作成者の意思に基づくものであって、初めて証拠力を持つ。これを形式的証拠力という。

 

ここまでをまとめると、

 

形式的証拠力がなければ、裁判上の証拠にならない。

文書が形式的証拠力ありと認められて書証となるには、文書が真正に成立していなければならない。

文章が真正に成立しているとは、本人の意思に基づいてその文書が作成されていることをいう。

判例によって、本人の印章による印影があれば、本人の意思に基づく押印があったということが推定される。

それによって、民事訴訟法228条4項によって、本人の意思に基づく押印があれば、文章が真正に成立したことが推定される。

 

みなすは反証も許さない

 

推定するは、覆せる。

 

本証は、証明責任をある側がおこなう。事実を証明するため。

反証は、事実を真偽不明にするため。

 

 

実質的証拠力・・・文書の思想内容が係争事実の認定に役立ちうることをいう。

 

事実認定は証拠調べによって行う。

 

その権利があるかどうか、証拠調べて調べる。